黒川温泉の名物「入湯手形」が、今年40周年を迎えた。温泉街を歩けば、旅館の軒先や湯めぐりを楽しむ人の手にある、見慣れた丸い杉の手形。その一つひとつが人の手でつくられていることをどれくらいの人が知っているだろう。森に入って木を伐り、皮をむき、茹で、乾かし、磨く。40年変わらず続いてきた手仕事の現場に、2025年から地域おこし協力隊として加わったのが白水ゆみこさんだ。かつて黒川温泉の旅館で仲居として働き、入湯手形を「売る側」にいた白水さんも、その背景をほとんど知らなかった。そしていま取り組もうとしているのは、自分が体感したことを、ことばにしてひらいていくこと。入湯手形40年の節目を、次の10年、つまり50年へつなぐために。町にあるものを、町の人たち自身がもう一度知るところから挑戦は始まった。
二度目だから見えた黒川がある
白水さんと阿蘇との出合いは18歳のころ。免許を取って初めて一人で車を走らせた先が大観峰だった。目の前に広がる風景に感動し、「いつか阿蘇に住んでみたい」と思った。
その思いが現実になったのは2017年。求人を偶然見つけ、締め切り最終日に勢いで応募。黒川温泉の旅館で仲居として働き始めた。接客や観光の仕事は初めてだったが、約3年間を黒川で過ごした。コロナ禍を機に一度九州を離れ、島根県・隠岐のホテルへ。いつか「レベルアップして戻ってこられたら」という思いもどこかにあったという。
再び黒川へ戻るきっかけになったのが、地域おこし協力隊の募集。40歳を目前に、そろそろ南小国へ戻れないだろうかと考えていたころだった。募集テーマは、入湯手形の価値を掘り起こし、発信していくこと。奇しくも入湯手形も40周年を迎える年だった。「私、手形と同い年なんですよね」。
かつては旅館の中から黒川温泉を見ていた。今度はひとつの宿を越えて、温泉街そのものに関わる仕事になる。仲居として過ごした時間と、一度町を離れて得た経験。その両方を持って戻れることも、白水さんにとっては大きかった。
いつもの手形の、知らなかったこと
地域おこし協力隊として黒川に戻った一年目。白水さんは毎週工房へ通った。話に聞くことと、自分の手を動かして知ることはまったく違った。手形は、同じ地域おこし協力隊を経て独立した當房こず枝さん率いる手形製作チーム「テガタワーカーズ」が、年間7万枚を製作している。職人・河津良隆さんから技術を受け継ぎながら、その製作体制をギルド化し、手形に関わる人の輪を広げてきたのがこず枝さんだ。
材料には小国郷の森から出る間伐材を使い、町内の工房で加工する。人が首から下げて歩ける大きさにするため、小径木を選ぶ。丸太を茹でるのも、皮をきれいにはがし、手に取ったときの仕上がりをよくするためだ。ひとつ一つ選択の背景に、森のこと、使う人のこと、つくる人の工夫が重なっていた。
40年もの間、人の手で続けられてきた工程。デジタルやAIが当たり前になったいまだからこそ伝えられることがあると白水さんは感じた。新しい価値をつくるのではなく、すでにここにあったものを、自分自身が知り直す一年になった。
知れば、自分のことばで話したくなる
手形づくりを経験するなかで生まれた、もう一つの気づき。それは、黒川温泉で働く若手スタッフが学ぶ「黒川塾」の研修で、工房を訪れたときのこと。普段は旅館などで働くスタッフたちが、目を輝かせながら手形づくりを体験していた。
その姿を見ながら思った。値段と使い方を説明するだけなら、手形について詳しく知らなくてもできる。でも自分で木に触れ、工房に立ち、そこにかかる手間を知れば「これはすべて小国郷の森の木なんです」「実は真冬に丸太を茹でてつくるんですよ」と、自分が驚いたことをそのまま誰かに話せる。
かつての自分もそうだった。入湯手形を販売することはできる。でもその背景までを自分のことばで話すことはできなかった。旅館でお客さんに手渡す人も、商店で働く人も、町を訪れた人と話す人も。その背景を知る人が一人ずつ増えていけば、入湯手形は「売るもの」から、自分たちの町の物語として語れるものになっていく。だから白水さんがいま力を入れたいと考えているのは、外へのPRだけではない。まずは、黒川温泉で働く人たちへ、その価値を伝えることだ。
町の声が町のなかをめぐるように
全国から多くの観光客が訪れる黒川温泉では、外へ向けて魅力を伝える機会は多い。一方で、同じ温泉街で働く人同士が、お互いの仕事や思いを知る機会は意外と少ない。
「女将さんはどんなことを考えているんだろう。料理長は何を大切にしているんだろう。商店の人はどんな思いで店に立っているんだろう」。
外へ伝える前に、まず自分たちが自分たちの町を知る。そのための媒体として、白水さんはZINEをつくることを決めた。黒川温泉で働く人たちを取材してつくる1冊の本。旅館の仲居や女将、料理長、商店で働く人、手形をつくる人。「お互いの想いを知り合えるきっかけになったらいいなと思って」。
取材時点では、まだ創刊号の制作途中。それでも目指すものははっきりしている。誰かが一方的に発信する広報誌ではなく、町の人から町の人へ声がめぐる「往復書簡」のような媒体だ。町にある思いや仕事を、一度ことばにして、町のなかへ返す。そのことばを受け取った誰かが、また誰かへ伝えていく。そんな小さな循環を、まずは紙の上からつくろうとしている。
この町のことを自分のことばで話そう
入湯手形が40年間続いてきた理由は、ひとつではない。手形を考えた人がいて、木を伐る人がいて、つくる人がいる。旅館で手渡す人がいて、それを持って温泉街を歩く人がいる。たくさんの人の手を渡りながら、入湯手形はこの町の文化になった。
たとえば仲居さんが手形を渡しながら「これは森の間伐材でできているんですよ」「私も工房で磨いたことがあるんです」と話す。そんな小さな会話が町のあちこちで生まれれば、旅人が手にする一枚の向こうに、森や、そこで働く人の姿まで見えてくるかもしれない。40年続いてきたものを、ただ同じ形で残すのではなく、その背景にある物語まで受け継いでいく。そのためにはまず、この町で暮らす人たち自身が、その価値を知ることから始まる。
40周年は、ひとつの通過点。次の50年へ手渡すために、まずは自分たちが、手のなかにあるものをもう一度知る。白水さんが始めているのは、そんな仕事なのかもしれない。
「黒川温泉には入湯手形をはじめ、長い時間をかけて受け継がれてきたものがたくさんあります。でも、近くにあるほど意外と知らないこともある。白水さんが一度外に出て、もう一度この町に戻ってきたからこそ、見つけられるものもあると思うんです。それを町の人たちと知り直して、次へつなぐ。そのカタチを一緒につくっていけたらと思っています。」