自転車をこぐと芝が刈れる。巨大なコマが回る。駐輪場には脚が生えて、歩き出す予定だ。キテレツ木工博士「ドクター杉太郎」こと寺世風雅さんのアトリエは、「?」な創作物であふれていた。理由を尋ねても、返ってくるのは拍子抜けするような答えだ。「何のために、とか考えちゃダメなんです」。役に立つかどうかより、人が立ち止まること。笑ったり、触ってみたくなったり、ひらめきや発見が連続すること。それが大事。「ゴールは、相手の脳の何かを刺激すること。『これができるならあれもできるんじゃない? じゃあ、あんなこともできるよね?』って、見る人の“想像”が動き出す瞬間をつくりたいんです」。

「?」が生まれたら、発明のはじまり

寺世 風雅さん

九州大学で建築を学んでいた寺世さんが、木でものをつくりはじめたのは大学2年生のころ。最初につくったのは、三方向から打ち合える三面卓球台。公園に置いたら、人はどう反応するだろう? 建築そのものよりも、何かを置くことで、場所や人の動きが変わることに興味があった。やがて、「自分がつくったものと社会をどうつなげるか」が、活動の大きなテーマになった。

誰にも頼まれていない、ちょっとわけのわからないものを、どうすれば人に楽しんでもらえるのか。そのためには「絶対に面白さがいる」と寺世さんはいう。なぜ、そんなに面白さにこだわるのか。問われて少し考えたあと、「気を引きたいという気持ちだけかなあ」と笑った。子どもが大人の気を引こうとして、思いもよらないことをする。その延長線上に、自分のものづくりもあるのかもしれない。役に立つものをつくるより、思わず振り向いてしまうもの。その「?」が、私たちと小国杉をつなぐ入口になるというわけだ。

愛おしさから始まった小国杉との出合い

寺世 風雅さん

木でものをつくりはじめた当初は、ホームセンターで合板を買っていた。けれど次第に、「生きている木を使いたい」と思うようになったという。木材を探すなかで出会ったのが、小国杉の製材・加工・販売を行う穴井木材工場。初めて製材所で小国杉を目の前にしたとき、寺世さんはこの木を「可愛い」と思った。3代目の穴井俊輔さんは、学生の小さな注文にも耳を傾けてくれた。

強度や性能に惹かれたわけではなかった。木目や手触り、その佇まいを、ただ直感的に「愛おしい」と感じた。ハタチそこそこで出会った小国杉は、その後の寺世さんのものづくりに欠かせない素材になっていく。

大学卒業後は北海道へ。杉やヒノキが多い九州とは違い「松も使ってみたい」という好奇心もあり、作家として活動した。そこで、奇妙なものをつくることを面白がってくれる人たちと出会い、創作を続けた。それでもいつか九州、小国郷のあたりへ行けたらという思いは残っていた。そうして学生時代から縁のあった人たちとのつながりをたどり、南小国町へ。地域おこし協力隊としての3年間が始まった。

制約があるほど、発明は自由になる

寺世 風雅さん

小国杉とshopbotなどのデジタルファブリケーションとのかけ合わせによってうまれる作品。一見すると自由奔放な発想から生まれているように見えるが、そうじゃない。本人はむしろ、「選択肢は広くない方がいい」という。たとえば「椅子をつくる」というお題なら、形や美しさについて無数の選択肢がある。けれど「人力で芝を刈る」「自転車を使う」と条件をつければ、できる形は少しずつ絞られていく。奇妙なお題と制約を積み重ね、そのなかで最適解を探していく。結果として、誰も見たことのない形が現れる。それが寺世さんのものづくりだ。

小国杉もまた、一つの「制約」だという。工業製品のように、こちらの都合に合わせて何にでも姿を変えてくれる素材ではない。小物に加工する難しさもあり、木の癖や特性と向き合わなければならない。だからこそ、「この木ならどうつくるか」を考える余地が生まれる。設計にはデジタルを使い、データをつくって大型加工機で切り出し、最後は手を動かして仕上げる。

遊ぶように考える。考えるように遊ぶ

寺世 風雅さん

地域おこし協力隊になって大きく増えたのが、子どもたちと関わる機会だった。学校に入り、木育のワークショップを行い、自分の作品を使って一緒に遊ぶ。作家として作品を見せるだけでは入れなかった場所にも、「地域おこし協力隊」という立場だからこそ入っていけたという。一つの作品をきっかけに、子どもたちが勝手に別の遊び方を考え、想像を膨らませていく。その瞬間を見るのが何より楽しい。「ゴールは、相手の脳の何かを刺激すること」。作品は完成品というより、誰かの想像が始まるためのインプットなのだ。

南小国町では、そんな寺世さんの活動自体を面白がる人たちに多く出会った。彼らは寺世さんの背中を押し、学校や地域の事業者へどんどんつないでくれた。人を惹きつけ、そこから新しい遊び方や関わり方が生まれていく。その広がりもまた、この3年間でつくられたもののひとつだった。「なんでこの人こんなに小国杉にこだわって意味わからんものつくってるんだろう? そんな謎が残ればいいなと思ってやってました。何かや誰かと比べるんじゃなくて、僕はいまこの町にいるから、“身近なもの”を採って、加工して、つくるっていうことが気持ちいいというか」。

木と遊びで、誰もが夢中になれる場づくりを

寺世 風雅さん

3年間の任期を終えた現在も、木と遊びの発明家「ドクター杉太郎」としての活動は続いている。「木を使って、遊びと学びの間をつくる」を軸に据え、さまざまな発明品や空間づくりをとおして、大人も子どもも楽しんでもらうための工夫を惜しまない。その先に描くのは、巨大な杉コマや木のガチャ、移動型のウッドラボなど、これまで生み出してきたものが集まる「木の遊園地」。10年ほどかけて育てていく構想だ。

一方、この3年間を振り返ると、自分は地域の課題をまっすぐ解決するようなタイプではなかったと寺世さんはいう。まず自分が面白いと思うものをつくり、それをどう社会とつなげるかを考え続けてきた。これまでも、これからも、とりわけ残したいのは、子どもたちへの記憶だ。「人の心にこびりつきたいですね。“頑固汚れ”みたいに。あ、これ落ちねえな!っていう」。

いつか大人になって小国杉の話をしたとき、「そういえば、小国杉で変なものをつくっていた人がいたな」と思い出す。その記憶が、木や森に興味をもつきっかけになるかもしれないし、自分も何か面白いものをつくってみようと思うかもしれない。作品そのものはいつかなくなるけれど、子どものころに出合った「なんだこれ?」は、案外しぶとく残っているものだ。そんな簡単には落ちない記憶を、この町のあちこちにつけていく。それが、ドクター杉太郎のこれからの仕事なのかもしれない。

寺世 風雅さん
COORDINATOR'S VOICE — SMO南小国 コーディネーターより

「寺世さんの面白さは、自分が面白いと思うものをつくっているうちに、いつの間にかまわりの人まで巻き込んでしまうところ。『なんだこれ?』から人が集まり、遊び方を考え、新しい何かが始まっていく。この3年間で町に残ったのは、作品だけじゃなく、そんな“想像の連鎖”なのかもしれません。」

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